Island Is Islands

Island Is Islands

ある時私は、渋谷の街の真ん中でバンコクのスクンビットホックスイップハーの香りを感じたり芝浦の芝公園から観える景色に札幌のテレビ塔の真裏から観える景色を重ねたりした。友達のヨッシュさんは京都のとある景色を重ねていたようだ。

今回のVR作品『Islands』の製作にあたり自分が据えたテーマは『経験という責任の分担』だ。鑑賞者がHMD(ヘッドマウントディスプレイ)Oculusを被ったとき、揺れる船に乗り島々の中を遊覧する。HMDの中で鑑賞者は視覚的な遠近感を体験し視認しようとする行為からヴァーチャルのリアルの狭間をディスプレイを媒介に行う。VR作品内の時間は現実時間とリンクしており島々全ての風景を経験として得るためには24時間かかる。会期中は24時間ギャラリーが空いているわけではないので、自ずと全ての風景を経験することはできない。

この作品を観た経験を他者に話す時の記憶は、延々とくりかえされるキュレーターの後藤さんの説明とその時目の前にある島という部分記憶になる。経験を人に話すという行為や、作品が鑑賞されるという行いを、私は経験がその個人に責任としてかかる行為だと考える。
人間の感覚において、同対象のナニカを同環境で視覚、聴覚、嗅覚で感じたとしても
個人によって違うものを感じている。この作品は人に鑑賞される時、それはその人のその瞬間や過去から結びついき投影された幻影として、その人の経験に刻み込まれたヴァーチャルとして担保される。

冒頭にでた感覚を覚える時、私自身はおしゃべりなので、その時横にいる友達に話したりしている。話す言葉の中でその場所が違うどこかと酷似しているのだという経験が
私の言葉によって担保されたりしている。

以前Strickerという作品を作るにあたりリサーチで色んな人に『あなたにとっての特別な場所を地図に書き入れてください』という質問をし、大きく張り出された地図にそこの風景と記憶を記載してもらった。おそらくその場所に行ったとしてもその場所はその人にとって大切な場所だが、私や他者にとっては特別な場所に必ずしもなるわけでないだろう。その風景は個人の経験によって投影されたヴァーチャルだからだ。

何かを観て経験をする時それはそれが何かであるという経験という責任を得る行為だと思う。個人の経験が分担され世界には幾層にも重なった景色がある。
幾人もの責任と経験の眼差しから世界は彩られ、風景はただそこにあるのだ。

http://www.difa.me/report/island-is-islands-report

Exhibition
TOLOT/heuristic SHINONOME
2015/010/14 ~ 2015/12/12
Exhibition
TOLOT/heuristic SHINONOME�2015/010/14 ~ 2015/12/12

The main theme of this project is “Sharing Experiences”. Users wears HMD and they get in virtual ship, exploring island’s ocean. the time-line in the VR is linked to real time, so users needs 24 hours to see every islands and events there. One user can attend limitted events, not all. so they start to talk each other, sharing their own experiences in the ocean.